伝説の日本刀:雷切

伝説の日本刀:雷切 雷切は戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将である立花道雪が所有したとされる一振りの日本刀です。
長さは58.5cm、反りは2.4cm、分類としては脇差になります。
もともとこの日本刀は柄に鳥の文様が刻まれていたことから「千鳥」と呼ばれていたのですが、名前が変わったのには道雪が35歳のころの逸話が関係しています。
これは道雪が故郷の大木の下で昼寝をしていたところ夕立に襲われて大木に雷が落ちた時、とっさに道雪がこの刀を抜きはなって振ったところ雷を切り裂いて死を免れたという逸話であり、これによって雷を切る刀、転じて「雷切」となったのです。
その後この日本刀は道雪が亡くなるまで共に在り続けて立花宗茂に伝わり、現在でも立花家資料館の所蔵として大切に保管されています。
ちなみにこの雷切という名を持つ刀にはもう一つ竹俣兼光という日本刀がありますが、雷を切った名刀と言われたのであればそれは立花家に伝わる名刀の方であると考えて差し支えないでしょう。

伝説の日本刀:青木兼元

伝説の日本刀:青木兼元 青木兼元は現代の岐阜県である美濃国の刀匠孫六兼元により鍛えられた日本刀で、別名として真柄切や真柄切兼元と呼ばれることもあります。
孫六の作刀の中でも最高傑作といわれる一品で、1939年に重要美術品に指定されました。
刀身は70.6センチで、反りは1.51センチ、元幅は3.1センチ、先幅2.5センチの刀で、指し表に兼元の姪が彫られています。
刃文が、3本まっすぐにあるさまを杉に見立てて、関の孫六三本杉と呼ばれ、孫六の作った日本刀の特徴といわれました。
エピソードとしては、真柄切と呼ばれる所以のものがあります。
1570年に朝倉氏・浅井氏と織田氏・徳川氏の間に起った姉川の戦いは、結果的には数的優位により織田・徳川郡の勝利となりましたが、朝倉家の家臣であった真柄兄弟の必死の抵抗により苦しい戦いを強いられました。
その真柄兄弟を打ち取ったのが青木一重で、使用していた刀は青木兼元でした。
この出来事がきっかけとなり、この刀には青木の名前が付けられ、世間に知られるようになりました。