伝説の日本刀:蜘蛛切
蜘蛛切藤四朗、通称蜘蛛切は藤四朗吉光の作による脇差です。
長さは32.6センチで反りは無く、日本刀を区分する銃刀法における分類上は脇差になっているものの、正確には寸延びの短刀と考えるのが妥当です。
永禄3年、西暦にして1560年に織田信長が熱田神宮に奉納した刀とされており、寛政4年に仰木伊織によって編纂された古刀銘尽大全には蜘切という名で収載されました。
ただ少々注意をしなくてはならないのが、熱田神宮に奉納されているこの日本刀とよく間違えられる名刀、薄緑の存在です。
薄緑は源義経の愛刀としてよく知られており、幾度かその名前が変わっているということも有名な話です。
この薄緑が薄緑と呼ばれる以前には吼丸や膝切といった名前があったのですが、それと同じく「蜘蛛切」という名前もあったのです。
そのため熱田神宮に奉納されている刀を見て「かの有名な源義経が振るった刀である」と思う人が少なくないのですが、作者である藤四朗吉光の時期は源氏の時代と比べても300年以上の差がありますから全くの別物です。
どちらも有名な日本刀であるだけに混同してしまいやすいのですが、形状も来歴も全く異なるものであるということはしっかり押さえておきましょう。
伝説の日本刀:長曾禰虎徹
日本刀の名工は数多くいますし残された名刀も多く存在しますがその中でも長曾禰虎徹は最も有名な一人でしょう。
鎧を作る職人から刀鍛冶に転身したのが晩年という事もあり作刀数が極端に少ないという特徴もあります。
数珠刃と呼ばれる互の目の頭が揃った独特の刃紋に浅い反りに小切先といった姿で当時は品が無いと言われたのですがその切れ味は凄まじく、注文した旗本の家の石灯籠を斬ったと言われる「灯篭切り」という作もあります。
また長曾禰虎徹が伝説となった理由にはやはり新選組の局長近藤勇の佩刀であったという事も大きいでしょう。
これには諸説ありますが所持していたという事は確かな事のようです。
しかし残念ながら近藤の刀は行方知れずとなったおり、明治期には「これこそ近藤の虎徹である」と風潮した刀はいくつか世に出ましたが真贋はわからず、本物の可能性が高いと言われた刀も火事で焼失したと言われています。
こうした言われなどで人気のある長曾禰虎徹ですが前述の通り本人の作刀というものが極端に少ない上に高い人気がある為に偽物もまた多く、銘は切られていてもそのほとんどが偽物であったという事もあり、最も偽物が多く出回っている日本刀とも呼ばれます。
日本刀を趣味として保有するのは意外と簡単
アニメやゲームなどの影響もあり、近年日本刀に興味を持つ人が増えていますが日本独自の鍛冶製法にて製作された刀類
で伝統的な美術品として海外にも人気があります。
刀身の長さにより刀や脇差や短刀に分類されますが武器にもなるので、所持するのは免許や特別な許可がいると勘違いしている方も多いです。
しかし実際は日本刀を所持するのに、資格や免許も必要なく教育委員会の審査を受けそれに合格した後に発行される銃砲刀剣類登録されたものならどなたも保有することができます。
この登録証が付属していない日本刀は売買することはできず、それを知っていながら未登録の刀を所持することも違法なので注意が必要です。
それから日本刀を購入した場合購入から20日以内に名義変更が必要となりますが、登録証が発行された都道府県の教育委員会に所有者変更届出書と登録証のコピーを送るだけです。
このように非常に簡単に所持することができるので、誰でも趣味としてコレクションすることが可能です。
日本刀の製造工程とは流れについてのポイント
日本刀というと完成された作品をイメージすることが多いですが、製造工程については分かっているようで案外全て把握している人は少ないのではないでしょうか。
日本刀は歴史が長く、また製法も様々なので、普遍的な作り方があるわけではないです。基本的には熱した玉鋼を延ばしていき、いくつかに分けて材料とします。次に炉で溶かして叩いて不純物を取り除く鍛錬を繰り返し、鉄をくるむ皮鉄を作ります。
それに合わせて柔らかい心鉄も作りますが、これは粘って折れにくくする為のものです。2つを組み合わせて棒状に打ち延ばし、細部を作り込む作業へと移行します。
粘土に木炭と粉状の砥石を混ぜて焼刃土を作り、塗りつけて熱してから冷却を行います。焼入れの後は歪みを修正して、粗研ぎをしたら傷などがないか確認、中心の鑢仕立てや目釘孔、最後に銘を入れて日本刀の完成です。
このようにいくつもの製造工程を経て完成する日本刀はまさに芸術品ですし、職人の磨かれてきた技術と経験の結晶といえるのではないでしょうか。
日本刀を見ることができるおすすめスポット
古来より武器や祭祀として使用され、現在は歴史的価値の高い伝統的な美術品である日本刀は、国内はもちろん海外からも高い人気を誇ります。現存している名刀は国内に多くあり、実際に博物館や定期的に開催される特別展で展示される機会も増えているため、誰でも気軽に見ることができます。
そんな日本刀が見られるスポットとしておすすめなのが、茨城県水戸市にある「徳川ミュージアム」で、水戸徳川家の名宝である太刀「燭台切光忠」が不定期で公開されています。他にも徳川家康の遺品である駿府御分物の品々や、歴代藩主らの残した調度品なども見ることができます。
「東京国立博物館」では、天下五剣のうち2振りが収蔵されており、「童子切安綱」と国宝「三日月宗近」が本館にて展示され、「福岡市博物館」には、黒田官兵衛と黒田家にかかわる名品を展示しており、天下三槍の一つである「日本号」が常設され、「へし切長谷部」や「日光一文字」は定期展示を行っています。
人気上昇中、長い歴史を持つ日本刀の魅力とは
最近日本刀に熱い視線が送られています。日本刀をモチーフにした二次元キャラクターも登場し、若い女性を中心に人気を集めています。そもそもどういったものでしょうか、日本で製作され反りのある刃が特徴にあります。
古くは平安時代から製作され、古くは武士の象徴でした。近年では美術工芸品として価値があり、国宝指定される物もあり、各地の博物館や美術館に展示されるなど文化財や資産で保有している方もいるなど価値が非常に高いです。
1000年以上の歴史がある日本刀ですが、いわくつきの刀もあります。その名も「村正」です。これは戦国時代から製作が始まった刀で、いまでも二次元キャラクター化されるほど有名なものです。しかし「妖刀」といわれ、所有した持ち主やその一族に災いをもたらすとも言われ、不吉な代物として語り継がれています。
この様な刀があるほど「日本刀」には魅力がある品物と言えます。現在では「刀剣乱舞」というゲームもあるほど注目されています。ぜひ魅力に触れてみるのもいかがでしょうか。
名だたる日本刀を生み出した産地は五箇伝といわれている
日本刀の産地として知られているのは全国に五箇所あり、五箇伝といわれています。いずれも独特の製法と優れた技術で数々の名刀を生み出してきた歴史があり、大和(奈良県)、山城(京都府)、備前(岡山県)、相州(神奈川県)、美濃(岐阜県)をいい、それぞれに流派があります。
大和は最も古い時代から日本刀を作っており実用重視であるのが特徴です。山城の日本刀は都があったことから実用性より美しさが特徴であり、備前は砂鉄が多く取れることから刀剣の生産量が日本一でした。
また交通の要衝に近いことから都へも供給されており、様々な流派が登場しています。相州は武士が政権を担った鎌倉時代に発展した流派です。鎌倉時代の中期に備前や山城から刀工達が移り住んだことがきっかけで多くの名刀が生み出されており、美濃は五箇伝のなかで最も新しい時代におきた日本刀です。
室町時代以降、覇権を競った戦国武将達からの需要に応えることで栄えた経緯があります。